東日本大震災。みんな色々なことを考えた。被災地、被災者、原子力、東電、政府の対応など含め。義援金もそう。
Twitterやブログなどで様々な意見がポストされた。僕もその1人だ。
意見を述べるのは素晴らしいことだ。まして文章にすること、残る形ですることは。
でも思う。僕の発言で世の中は変わらないだろう、と。
もちろん、僕を含め小さな声が集まり、世の中が動くこともあるだろう。
声を上げることは決して無意味じゃない。
声がなければ好き放題やられる。
でも今回の震災での僕の予想は、原発も東電も、なくならない。国民が負担し、東電社員はなんだかんだ、対応がいいまま。
原発の近くでの子供の被爆も止まらない。
仮に何かが変わるとしても、それさ「僕が声を上げなくても」変わるだろう。
僕には、主張を言い続けて、何かを変えるまで頑張ろう!という根気はないのだ。そのエネルギーをビジネスなり他のことに使おうと思う。
ではなぜ、自分の意見を述べてきたのか?
「言い続ける」根気はなくとも「意見を言う、自分の考えを表面する」ことが大切だから、だ。
何も変わらないから、本来どうあるべきか考えもしない。
そこで止まるべきでない。
ブログなどに書く、ということは、自分の考えを整理することでもある。
これだけの外部要因でも思考停止は話しにならない。
親として、子供に、自分の考えを示すこと。
経営者として、自分の考えを示すこと。
周りがどう思ってるかは分からないけど、僕自身はすごく大事なこと。
極端に言えば、正解である必要はない。
その時点のインプットで1つの判断をすること。これがすごい大切だ。