経営のあるべき姿

最近、ダイエット中の村野です。

「経営は、かくあるべき!」
「社長とは、XXで当然!!」

そんなことを聞いたり、考えたりすることもあります。
経営やら社長やらのあるべき姿?

で、僕の結論は、「そんなものはない!!」。

「周りの視線」を気にすると、あるべき姿を模索したくなっちゃうのかも。
自信がないときとか。うまくいってないときも。

自分にウソをつかない、自分の信念に従う、ですな。
「周りにどう見られるか」なんか大事じゃないし、他人はそもそも、そんなにこっちを見てない。
「おい、そこのきみ、みんな君に興味無いって!!自意識過剰だぞ!」とかつぶやくアプリがあったら、世界平和に貢献するかも。

コミュニケーション

ビジネス上とプライベートとでは、まったく別物だと思いますが、ビジネス上の話で。

コミュニケーションって、双方向の意思疎通、みたいに言われるけど、立場が違えば必要な情報が違います。
「両方向ともが等しい情報量・内容」である必要はないです。

例)営業と営業される人
 営業 → 営業される人
 営業される人 → 営業
まったく違うよね。
テレアポのオペレーターと消費者とかもそう。

そして、チームリーダーとチームメンバーの間のコミュニケーションも、同じロジックが成り立ちます。
ここ、覚えておきましょう。

また、コミュニケーションは、コストの側面も大きいです。「コミュニケーションコスト」ってなんか最近、よく聞く気がする。気のせいかな。
・・・と書いたものの、コミュニケーションコストについて書くと、プロマネ論みたいになりそうで、やめときます。
(1回書いたけど、消しちゃった)

代わりに、コミュニケーションに関する思い出を2つばかり。

PMをしてて、チームメンバーのIくんに、アイコンタクトだけで指示が伝わったことがありました。
確か、SNSの機能追加だったんだけど、スゲェ、と思いました。

仕事が終わってよく飲みにいってた時、「仕事とプライベートと、落差ありすぎ」と同僚に呆れられました。
仕事と呑みと、コミュニケーションの取り方、まったく違ってたみたい。

ま、「コミュニケーション」って、日本語に訳しにくい言葉で、結局、いろんな漠然としているのを包み込む都合のいい言葉なのかもね。

ニッポンの今後 その4(いったん完)

我々の世代(30代)。
ロストジェネレーションなどと勝手に名付けられ、なんか切ない世代、は被害者妄想か。
何もロストしてないよ、、って。

ま、ビミョーだよね。
大企業に入っても、給料も上がるかも分からず、そもそも会社も存続するかも分からないし。
大企業で、40代で会社が傾いたら、若い会社で職を持てる人、ほとんどいないんじゃない?
かといって、古い会社は、中途採用に厳しいしね。
いや、一部のエリート層はどうやったって食っていけるし、大企業だからこそ積んでいる経験は圧倒的なValueだけど、そうじゃない人は大変だぁ。

じゃ、ネットなどで起業?
でもネットっていっても、いわゆる創世記(でもないんだが)の強みはあるけど、「作る側」の視点が強くて、「使う側」の視点が弱い。
ま、技術Drivenなイノベーションは起こしやすいのかも知れないけど、それは一握り。

さぁ、どうする。ボケーっと流されますか。いやいや。それも面白そうですが。。。

このビミョーな世代の我々、だからこそいろいろ面白いし、チャンスもいっぱいあるんじゃない?って思う。

日本の歴史なんて、10年、20年でころころ変わる。
150年前はまだチョンマゲ、切り捨てご免な国でした。
100年前は富国強兵まっただ中。第一次世界大戦前夜って感じ。
50年前は戦後復旧の最中。
30年前はバブル前夜。
10年前は失われた10年が終わりつつ、修飾すらされない、引き続き失われた10年が始まりつつ。

まさに今も、過渡期でしょう。
中国をはじめ、周辺諸国がこれだけ激動しているのに、日本だけ変わらないなんてあり得ないし。

その過渡期、何かをできるのは我々の世代じゃないかな。
日本の良さを認識しつつ、新しい世代の背中を押しつつ。
団塊世代と、ゆとり世代。その両方のいいところを活かしてエネルギーに変えるのは、我々の世代に一番可能性がある。

ただ単に、経済的に成功するのじゃツマラナイ。
日本、日本人というカルチャー、ライフスタイル。いや、もうちょっと柔らかく、日本のイメージくらいかな。

そういうのを生み出すのは、我々でしょ。

いずれにしても、待っているだけでは何も変わらない。何も起きない。ツマラナイ。
僕らは、動き出したら、意外とできる人たちな気がする。
深く考えず、いろいろやってみようぜ。軽いノリで。なんとかなるって。