震災とアクション

東日本大震災直後から、寄付金まとめサイトを作った。脊髄反射的に行動できた。IT業界ではない優秀な仲間と。

効果はともかく、行動し、最大速でサイトリリースできた。

利を計算せずに直感、感情ですぐに行動に移せたことは、今、冷静に考えると安心し自信になる。

行動し何かを形にするのは、想像以上に大変なことだ。すぐに言い訳が頭によぎり、止めてしまう。
また、何かをすれば何かをする時間がなくなる。費用対効果なんか考え冷静になると行動できない。計算なんかしているとタイミングを逸してしまう。
これらは、日常のビジネスでの悩みでもある。考えるほどチャンスを逃す。
そして行動力、アウトプット力がないのでは、と不安になる。

今回、行動し、アウトプットを出せたことで、やればできるという自信が戻った。不安が消えた。

東日本大震災という未曾有の外部要因。これで何もできずネットサーフィンだけして、知ったような口を聞いて終わってたら、ビジネスへの自信を失っていただろう。
評論家で食っていけないし、食いたいとも思わないし。

まず動く。動けないと、動かないと、凋落を待つだけだ。

GW

GWは10連休。とはいえ仕事が溜まっていたので、前半は家で作業。後半は、くつろいでます。

午前中はランニングして、午後から11か月の長男と遊び、アジア料理作って、水周りを重曹とクエン酸で掃除するなど。
今日は初節句。両家の親を招待し、素晴らしい1日でした。

明日からは1泊で軽井沢へ。軽井沢プリンスホテルのコテージを借りてみた。気兼ねしなくてよさそう。
新幹線で1時間だし、息抜きにちょうど良さそう。PCも置いていく!

会社のこと、チャレンジしたいこと、色々とやりたいことはあるんだけど、心身ともに健康が第一。それがないと継続できない。
しっかりとメリハリつけて。これが難しいんだけどね。

しかし、ここ数日は、久しぶりに充実感に溢れています。
しっかり休日を過ごせると、仕事でも自信が湧く。不思議だけどね。

明日も早い、、というほど早くないけど、心地よい疲れのまま、もう寝ます。

サイト運営のボランティア募集!

現在、弊社では、下記2つの寄付金・義援金まとめサイトをボランティアで運営しています。
東北地方太平洋沖地震 寄附金・義援金まとめサイトkifusuru.com

このサイトの手伝ってくださる方、いらっしゃればご連絡ください!

■必須条件
・当作業において自分の利益より被災地・被災者のことを優先して考えられること
・やる気があること
・単純作業を厭わないこと
・月10時間程度使えること

■タスク内容(下記の中からできること)
==運用業務==
・お問い合わせのメール対応
・掲載データの作成、投入
・データ精査(リンク先の定期的な確認)
・各種施策の実施フォロー

==制作業務==
・デザイン制作(サイト、フライヤー等)
・HTML/CSS制作
・PHPでの開発
・JavaScriptでのユーザビリティ改善

■お問合わせ先
kifusuru@boocoo.jp

■備考
・素晴らしい仲間と一緒に仕事ができます!
・頑張っていただければ、Staffに名前を載せます!
・色々勉強になります!

よろしくお願いします!!

原発の考察

色々な人と、原発の是非について意見交換した。いろいろ勉強になった。

それらも踏まえ、追加の考察を。私見です。(前回の記事「原発もういいよ」もご参照ください。)

電力が必要 -> 原発が必要 は論理が飛躍している

今すぐ、という制約下においては正しいですが、論理的にはこれは飛躍。
電力は原発以外でも作れます。
同様に、「原発反対 = 電力不要」と捉えられるのも論理の飛躍です。

他の発電と比較するには、同条件ですべき

例えば再生可能エネルギーとの比較。
再生可能エネルギーに原発と同じだけ費用をかけてR&Dを行ったと仮定して、そのうえで、原発との比較をすべき。

原発のコストは最終処分までで計算すべき

これは様々なところで見られる、すごく当たり前の話ですが、念のため。停止プロセスの費用も含めて。
ちなみに最終処分場も決まっていないのに、どうやって最終処分するんですかね?
今の状況で、最終処分場が仮に決まったとして、超巨額の助成金と、超巨額の安全対策費用が求められますけどね。

科学的に正しい、と、リスクマネジメントとして正しい、は別

科学的には、立証されていないものは「正」として扱わない。原発の危険性も立証されていなければ「危険」と捉えないのは正しい。
しかしリスクマネジメントでは逆。安全が立証されていおらず、危険を唱える学者がいるなら、「危険」と捉えるべき。
ちなみに、東京電力からの情報開示や、今までの事故サンプル数が少なすぎることを考えても、「安全」は立証できない、と考えるのが普通だと思うのですが。

東京と福島

上で「安全」という言葉を使ったが、「どこが」というのを定義しないと議論が成り立たない。
えてして、原発反対の人は「福島は危険」、原発賛成の人は「東京は安全」という論調が多い気がします。
「東京は安全」という論理は、正しいかもしれない。東京電力を信用できなくても、僕にもそう思える。
でも、だから「原発=安全」ではない。福島で、原発の近くで、安全じゃないでしょう。避難しろって言ってるんだよ。
ま、首都東京を守るため、「想定外」があっても「東京は安全」なとこに作ってるんだろうけど。
「ほら、事故があっても東京は安全じゃないか」って論理じゃなく、「原発とその周辺」が安全かどうか考えるべきじゃない?
(ま、東京が安全なら国益として進めるべき、みたいなことを言う方も多いと思いますが、僕はそういう考え嫌いです。)

原発もういいよ

もういらないでしょ。経済効率だかなんだか知らないけど。

命が一番。どれだけエコノミックアニマルなんだ。

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原発がないと、電力は確かに不足します。
リスクは確かに、今回の震災、津波に耐えれるようにすれば、今よりも更に低くなるでしょう。
電力がないと、日本経済が成り立たない、原子力に反対するなら代替案を示せ、よく聞く言葉です。

でも、経済効率を考えるときに、犠牲にするのが、経済の対価が人の命であってはならないです。
儲かるためなら、便利な生活のためなら、誰かが死んでもいいのでしょうか?誰かが死ぬリスクが上がっていいのでしょうか?誰かの故郷が住めなくなってもいいのでしょうか?

しかも、「原発がないと困るでしょという人」は、実際にはそのリスクは負っていないことがほとんど。
私も含めた東京都民は、リスクのないところで生活して、リスクを他県に押し付けて、リスクと経済効率を天秤にかける。

子供がガンになるかも知れない、故郷に二度と帰れないかも知れない。それがどれだけ辛いことか。

やるなら、東京が電気が必要なら、東京のど真ん中に原発を作りましょう。
それは(賛同しかねるが)スジが通った主張だと思います。

安全だ、といっても、人が作ったものに100%はない。科学をかじった人間なら誰でも分かりますよね?
※私は東京大学工学部卒です。まったく科学を知らないど素人ではないと思っています。

設計が完璧、ということも考えにくいですが、きちんと設計したって、それがきちんと作られた保証もないです。
(システム屋なら分かりますよね?絶対バグのないシステムなんて作れないってことを。)
また、今までの統計からしか策定できない安全基準で、将来の100%の安全を保証することはできないです。

原発を現状維持すべき/あるいはさらに開発すべき、という方へ。
(それが0.001%でも)リスクはゼロではない、と認識していますか?
それは、「その土地は今回のフクシマのようになる可能性があるけどそれでもいい」、と認識してるということですよね。

完全にリスクはない、0%だと認識していますか?
それなら、東京のど真ん中に作っても問題ないですよね。リスクないんだから。
東京に作りたくない、とはいえないですよね。ロジカルじゃない。

論理的に、数学的に、「リスクは完全に0」、「リスクは0より大きい」、このこのいずれにも属さない考え方はありえないです。
ぜひ、どちらだと考えているのか、お聞かせいただきたいです。

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もうちょっと書きます。経済面から。

今回のフクシマで、「日本」という国際ブランド力は暴落しました。
この経済的損失は計り知れないです。

観光業はもちろん壊滅。
安全・安心で売っていた農作物や海産品をはじめ、食料品も壊滅。今後の大きな輸出産業だったのに。
停電が改めて光を当てた国産工業品の、世界のラインをストップさせるほどの重要性。
これらも(生産面での電力供給面の問題は考慮から外しても)、輸出の際、放射線量のチェックをされるなど、ブランド力は暴落。
(そのうち「この携帯、日本の部品つかってません」とか広告出たりして。。。)

経済発展のために、原発が必要というが、それは電力供給面でしかないです。
そして、それ以上ともいえる大きな日本の国力低下を、原発がもたらしています。
「日本」というブランドは、停滞/衰退した日本経済を復活させる最大の武器でしたが、それを今、失いました。
今現在の経済よりもさらに大事な、お金を産む大切な資産、金の卵を産むニワトリが死んでしまったのです。

意味ないですよね、原発。日本経済は今後、内需だけでやっていくのでしょうか?
ガラパゴスwith原発?

海外を相手に、海外に拠点を置き、勝負する。うん、それは原発の影響はないです。でも国内の電力もいらないですよね。

この危機から脱出するには、「いますぐ原発と決別することで、日本のブランド力を回復させること」です。
原発を絶対悪とし決別する。その姿勢によって、国際社会での1つのステータスを築くチャンスは残っているように思えます。

仮に、人の命や故郷を、日本経済を考える天秤に乗せて(それはすなわち金額に置き換えて)、それで原発の要否を検討したとしても、私にはそれが、原発あるべし!という結論を出すとは思えません。
みなさんは、どう思いますか?机上のリスクではなく、現実に起きた、壊滅的なダメージを目の当たりにして。
(定量評価を私がしたわけではないですが、感覚は正しいと確信しています。)

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確かに、明日から突然、全原発が止まると、社会が崩壊するでしょう。なので段階は踏む必要はあります。

でもそれは、「原発を止めるべきか」の議論ではなく、原発廃止を決定事項とし、「どう止めるか」のみにフォーカスしなければなりません。
今すぐ「原発を止める」と宣言し、期限を切って、具体的には1年以内に、実際に原発を止めはじめる。そう社会の舵をきるしかないのです。
1年もあれば充分。早ければ早いほど、日本経済にはプラスになります。

なお、現状維持や、原発の是非を検討することは、少なくともその期間は、既に存在するリスクを許容する、そして日本ブランド復活の施策をストップさせるということです。

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反原発だと、感情的だとか、何も考えていないだとか、そう捉える風潮があります。
私は冷静です。この文章も数日かけて、何度も見直しています。

逆に、原発が必要だ、といっている人の方が、感情的なのではないでしょうか?
「なくなったらパニックになる」と思い込んでるだけでは?
買い占めをした人たちと同じに思えます。あるいはマインドコントロールされているのでしょうか?

ここに書いていることは、感情論ではありません。冷静に、読んでみてください。ロジックがおかしいところがあれば、ぜひ教えてください。

もう、原発やめましょう。原発をエサにするエコノミックアニマルは絶滅させましょう。

日本ブランドを築き上げてきた戦後復興、団塊世代のためにも。
これから日本を支える子供や孫の世代のためにも。
日本経済のためにも。

何よりも日本国民や日本在住の皆さんの命のためにも。

大丈夫ですよ。
電気が減ったって、我々は、強いです。うん、大丈夫。