エンジニアと呼ばないようにしよう

日本は、モノ造りが経済を支える、技術立国だ、という。
海外でも、モノ造りがリスペクトされている。

僕は大学を卒業し、数社転職、勤務するなかで、
「日本の労働環境で、エンジニアはもっと評価され、また、マネジメント層に行かない、スペシャリストとしてのキャリアパスがあるべき」と言ってきた。
語弊があるかもしれないし、視野も狭いガキな意見かも。そう指摘されることも多かった。
まぁ、僕個人の主観、感想なので、正解とか間違いとかは、どうでもいい。
いずれにせよ、上記の思いは持ち続けている。

ただし、最近、違和感を感じている。なぜだろう。

最近のエンジニアといえば、プログラマーのことを指すことが多い。
僕が接するのもプログラマーやらSEやら。
このプログラマーというのが厄介で、本当に玉石混淆。

本当に優秀な人も何人か見ている。僕が全力でプログラマーの道に進んでいても、かなわないのではないか、と思うような人々。

で、彼らは、自分のアウトプットに、すごくプライドを持っている。言われたものを作るだけのことはしない。
要求になくとも、必要があれば、きちんとクライアントなりに説明して、開発を進める。
たぶん、自分のアウトプットがショボくて、「これ、私が作りました」というのはプライドが許さないのだろう。
(僕も、自分のマネジメントしたものに関しては、そういうスタンスのつもりです。)
彼らを「エンジニアX」と仮に呼ぼう。

一方で、同じプログラマーでも、言われたことしかやらない人もすごくいっぱいいる。
というか、大半はそういう人だ。
仕様が間違っていても、気づかない、興味がない。
ただ渡された詳細設計に従って、なんとなくプログラムし、テストされればそれなりにバグが出て、気がつけば、何度も「指摘されて」修正している。
コードレビューや負荷テスト、セキュリティチェックをやれば、ボロがどんどん出る。
彼らを「エンジニアY」と仮に呼ぼう。

あ、そんな(SI的に下流と呼ばれる)プログラム工程でも、責任感・プロ意識を持ち、与えられたタスクを100%こなす人がいたら、それは素晴らしいので、区別して、「エンジニアZ」と呼ぼう。

日本を支えてきたモノ造りの仕組みはこうだろう。
「エンジニアX」の人が道を拓き、技術をつき進め、それを「エンジニアZ」の人たちが高いクオリティで生産体制に持っていく。

だが、ITの世界では、「エンジニアY」が多すぎる。
「エンジニアY」が多いのは、SI業界の構造的問題に起因しているので、確かにかわいそうではあるが。。。

世間は、ITを知らない人は、XもYもZも、「エンジニア」と呼んで1つにカテゴライズしている。
そして結果として、「エンジニア」がリスペクトされない構造になっている。
会社によっては、それに加え、無駄な平等主義がYを増長させ、X、Zをストレスの海へ突き落している。

僕はこんな「エンジニアY」をこれから「エンジニア」と呼ばないようにする。
そうしたら、冒頭の違和感も減るだろう。

ちなみに、一番割を食っているのは、「エンジニアZ」の人々だ。
Xは実は、良い単価の仕事にありつくのは、そんなに難しくない。
だがZはYのせいで単価がガタ落ち。しかも、Zの上司がYだと、いやな一連託生。。
なお、Xは、好きなプログラムでアウトプットを出すより、Yの尻拭いの仕事が圧倒的に多いのですが。

Yが駆逐されZが報われるとき、Xもプログラミングに尽力でき、日本のITは、やっとスタートラインに立てるのではないだろうか。

今後の世の中

村越さんと、3年後の世界について、ブレストした。
お好み焼き屋で、お好み焼き以外をつつきながら。

非常に意味のある、そして楽しい時間でした。
方向性も見えてきた。

ブレストの結果は、村越さんのブログに書いてもらいます。
今、夏休み中ですが。
いっぱいインスパイアされて帰ってくるといいですな。

入れ替わりで、その後は僕が夏休み。
こちらは、毎年行っている、マレーシアの島に行ってきます。

子育て

子育てするお母さんって、すごいね。
自分の血をオッパイに変えて、赤ちゃんにあげてる。
最大限のリスペクトです。

子供を持つ前も思ってたけど、持ってみて、実感285%増です。

仕事を一緒にしている友人から出産祝いとともに
「子育てしてる母はすごい。1.母親、2.子供、3.自分、4.仕事、そんな順に大切にしては」
とメッセージを貰ってうれしかったです。

まぁ、それはともかく、教育だ何だって、ごちゃごちゃ騒ぎ過ぎな気がする。
XX式だなんだって。。。

僕は有名私立中高、東大出身で、世間一般で言うエリートに当てはまるようですが、
東大で、そんな教育受けてきた人、見たことないんだけど。

僕の周りがエセ東大生ばっかだったのだろうか。いなめないだけに怖いww

子供を信頼し、きちんと叱り、愛情を持って自然に接し、なにより親が心身ともに健康で仲良くいることが、一番の教育じゃないだろうかって思う。

都会は平気?

我が家は3ヶ月の赤ちゃんがいます。
で、都心での子育てはいい環境だろうかと悩みます。

TVで、過疎が進む、隠岐のある小島を見ました。すごく美しい島だった。
寂れてはいるけど、ここで育つのと、都心で育つのとどちらがいいのだろう。

僕は、今の日本社会にはくだらないストレスが溢れていて、東京はそんな日本の縮図だと思います。

学級崩壊、いじめ、自殺。

もちろん、こんな大都会を一般化するなんてできない。
でも、何よりも大事な家族を、訳の分からないリスクに晒したくない。

治安は安全かも知れないが、潜在的な危険に晒されてないだろうか。

子供には、心身とも、健やかに育って欲しい。
僕も奥さんも、家族も友達も、健康でいたいし、いて欲しい。
それが何より大事です。
そんなシンプルなことを考えると、こんな考えになる日々です。

ちなみに語弊がないようにいうと、僕は江戸っ子、東京育ちです。
23区外に住んだことは殆どありません。
東京の友達もいっぱいいるし、東京大好きです。

負の東京ではない、素晴らしい東京もいっぱいあります。
これはまた掘り下げます。

戦略

どういう会社にする、というビジョン、理念はある。
ていうか、それしかない。

でもそれだけでは食べて行けない。

なので、戦略を立てねば。
何に時間と金をかけるか、ですね。

大事なのは、2つ。
1. 理念に合致しているか
2. 10年後と合致しているか

1. 理念に合致しているか
理念との合致は当たり前。理念は会社の存在意義、最上位のもの。
社員の幸せのために会社をやってるのだから、目先の利益のために、社員を犠牲にするとかはあり得ない。
似たような理念を掲げながら、休みも取れないダメ会社もあるけど、boocooは違う。

甘いって?

どっちが?
甘いって言う人は、それを達成できない自分に甘いだけでしょ。
口先だけの理念なんか興味ない。
※社長や経営層が理念に忠実でも現場が違う場合も、ダメだよね。

2. 10年後と合致しているか

目先の儲かりそうなもの、ここに流されないようにする。
だってしばらくは食っていけるから。
あと7、8年はプレーヤーで充分食える。

なので、10年後がどうなっているか予測を立てねば。

もちろん、直近で楽に儲かるのはうれしいが、それを探す時間を、10年後のビジネスモデルに費やす方が、boocooにとって正しい。

流行りを追う経営は、自爆する。

というわけで、10年後にどんな社会になっているか、そこに対して価値感がマッチしたビジネスをどう構築するか考える日々です。