[震災] 僕にできること/寄附金まとめサイトをつくりました

余震が続く大惨劇の東北地方太平洋沖地震。

こんなときだからこそ、「自分にできることをやろう」。

というわけで、中学来の友人とSkypeで話し、他の友人も巻き込み、「寄附金・義援金まとめサイト」を作りました。
似たようなサイトも多いけど、少しでも、被災者の方の役に立てれば幸いです。
費用対効果とかではなく「役に立った度」がほんの少しでもあればOK。たくさん役に立つに越したことはないけど。

■とりあえずの特徴
・リンク集で終わらず、最低限必要な情報を載せ、寄附先選定の一次フィルタを果たす
・素晴らしい寄付先がソーシャルで広がるように、twitter、facebookのボタンを寄附先ごとに配置(mixiも制作中)
 (なんか突然、fecebookの「いいね」アイコンが出なくなった。。調整します。)

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今回、「自分にできること」を真剣に考えました。
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僕のスペシャリティはWeb関連のPMや、もうちょっと上流の戦略立案やコンサルです。
でももう1つ。Webサイトを作るのに必要なスキルはひととおり全て持っています。

そして、何かをしようとするときに、一緒に考え、行動してくれる多くの友人がいます。

また、リーマンじゃないし、理解のあるクライアント様と仕事をしてて、普通の人より圧倒的に時間の調整がしやすいです。

何かサイトを作ることで役に立てるなら、それが僕の「できること」じゃないだろうか。
これだけの条件が揃っている人も、そんなに多くないのでは。

こういった思いで、今回、突き進んでいます。

効果のほどは分かりません。
それを気にして歩みを遅めるよりも、少しでも多く役に立てるように、ただそれだけを考えて進んでいます。

あくまでも、自分のできることの第1歩を踏み出しただけですが、2歩、3歩・・・と歩みを続けていきます。

がんばれ東北!がんばれニッポン!!

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寄附金・義援金についての僕の考えをまとめました。
>> [震災] 寄附金についての僕の考え
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技術力があればエンジニア?

僕はよく、エンジニアだと言われます。
コーディング力はその辺のプログラマーよりも高いと思うし、その他の技術的なナレッジも、確かに高いと思う。
で、それはそれでいいんだけど、技術力があると、下記のように判断する人が多い気がする。
(1→2→という流れです。)

1. 技術力がある
2. エンジニア、と思われる
3. 経理や法務には明るくないと思われる
4. 営業なども範疇外と思われる

うーーん。。。
「技術力がある」 => 「他のスキルがない」
という思考回路が分からないんだよな。ロジカルじゃないよね。技術力を含む各スキルは、独立事象でしょ。

コンサル、企画書、提案書、営業、お客様の戦略立案、契約書レビュー。
事業部長もやってたし、予算策定、PL策定、予実分析。会計知識も必要。
SWOT分析やら4Pやら3Cやら、それっぽいことも勉強&実務やっています。
で、今は社長だし、帳簿も自分で付けている。引き続き、法務チェックも行っている。

むしろ、業務では技術力を身につける時間がないので、コーディングとか、趣味でしかしていない。
サーバ構築とか、ドメイン管理とかもそう。そんなの僕が仕事でやってたら単価に見合わない。

まぁ、痛いことに、
「技術力がない」 => 「他のスキルがある」
も当然ながら成り立たないんだよね。。

技術なんて、ある程度までは頑張れば、誰でも絶対に伸びる。エンジニアと話が通じるレベルなんて、大したレベルじゃない。
なんで、
技術力がある人 => 努力できる人 => 全般的にビジネススキルも高い
が成り立つケースも極めて多いんだよね。

世間一般の「技術力がある」のハードルが低すぎるのも問題なのかな。やってみりゃいいのに。
簿記3級より、掲示板作る方が簡単だよ。

経営のあるべき姿

最近、ダイエット中の村野です。

「経営は、かくあるべき!」
「社長とは、XXで当然!!」

そんなことを聞いたり、考えたりすることもあります。
経営やら社長やらのあるべき姿?

で、僕の結論は、「そんなものはない!!」。

「周りの視線」を気にすると、あるべき姿を模索したくなっちゃうのかも。
自信がないときとか。うまくいってないときも。

自分にウソをつかない、自分の信念に従う、ですな。
「周りにどう見られるか」なんか大事じゃないし、他人はそもそも、そんなにこっちを見てない。
「おい、そこのきみ、みんな君に興味無いって!!自意識過剰だぞ!」とかつぶやくアプリがあったら、世界平和に貢献するかも。

コミュニケーション

ビジネス上とプライベートとでは、まったく別物だと思いますが、ビジネス上の話で。

コミュニケーションって、双方向の意思疎通、みたいに言われるけど、立場が違えば必要な情報が違います。
「両方向ともが等しい情報量・内容」である必要はないです。

例)営業と営業される人
 営業 → 営業される人
 営業される人 → 営業
まったく違うよね。
テレアポのオペレーターと消費者とかもそう。

そして、チームリーダーとチームメンバーの間のコミュニケーションも、同じロジックが成り立ちます。
ここ、覚えておきましょう。

また、コミュニケーションは、コストの側面も大きいです。「コミュニケーションコスト」ってなんか最近、よく聞く気がする。気のせいかな。
・・・と書いたものの、コミュニケーションコストについて書くと、プロマネ論みたいになりそうで、やめときます。
(1回書いたけど、消しちゃった)

代わりに、コミュニケーションに関する思い出を2つばかり。

PMをしてて、チームメンバーのIくんに、アイコンタクトだけで指示が伝わったことがありました。
確か、SNSの機能追加だったんだけど、スゲェ、と思いました。

仕事が終わってよく飲みにいってた時、「仕事とプライベートと、落差ありすぎ」と同僚に呆れられました。
仕事と呑みと、コミュニケーションの取り方、まったく違ってたみたい。

ま、「コミュニケーション」って、日本語に訳しにくい言葉で、結局、いろんな漠然としているのを包み込む都合のいい言葉なのかもね。

ニッポンの今後 その4(いったん完)

我々の世代(30代)。
ロストジェネレーションなどと勝手に名付けられ、なんか切ない世代、は被害者妄想か。
何もロストしてないよ、、って。

ま、ビミョーだよね。
大企業に入っても、給料も上がるかも分からず、そもそも会社も存続するかも分からないし。
大企業で、40代で会社が傾いたら、若い会社で職を持てる人、ほとんどいないんじゃない?
かといって、古い会社は、中途採用に厳しいしね。
いや、一部のエリート層はどうやったって食っていけるし、大企業だからこそ積んでいる経験は圧倒的なValueだけど、そうじゃない人は大変だぁ。

じゃ、ネットなどで起業?
でもネットっていっても、いわゆる創世記(でもないんだが)の強みはあるけど、「作る側」の視点が強くて、「使う側」の視点が弱い。
ま、技術Drivenなイノベーションは起こしやすいのかも知れないけど、それは一握り。

さぁ、どうする。ボケーっと流されますか。いやいや。それも面白そうですが。。。

このビミョーな世代の我々、だからこそいろいろ面白いし、チャンスもいっぱいあるんじゃない?って思う。

日本の歴史なんて、10年、20年でころころ変わる。
150年前はまだチョンマゲ、切り捨てご免な国でした。
100年前は富国強兵まっただ中。第一次世界大戦前夜って感じ。
50年前は戦後復旧の最中。
30年前はバブル前夜。
10年前は失われた10年が終わりつつ、修飾すらされない、引き続き失われた10年が始まりつつ。

まさに今も、過渡期でしょう。
中国をはじめ、周辺諸国がこれだけ激動しているのに、日本だけ変わらないなんてあり得ないし。

その過渡期、何かをできるのは我々の世代じゃないかな。
日本の良さを認識しつつ、新しい世代の背中を押しつつ。
団塊世代と、ゆとり世代。その両方のいいところを活かしてエネルギーに変えるのは、我々の世代に一番可能性がある。

ただ単に、経済的に成功するのじゃツマラナイ。
日本、日本人というカルチャー、ライフスタイル。いや、もうちょっと柔らかく、日本のイメージくらいかな。

そういうのを生み出すのは、我々でしょ。

いずれにしても、待っているだけでは何も変わらない。何も起きない。ツマラナイ。
僕らは、動き出したら、意外とできる人たちな気がする。
深く考えず、いろいろやってみようぜ。軽いノリで。なんとかなるって。